宗教とコーチングの違い
昨日、会社の人と話していて、
興味深いことを聞いたので、メモしておく。
※僕自身、宗教とかコーチングとかそこまで、
深く勉強をしているわけではないので、
主観も強いです。
“宗教に入ること” と “コーチングを受けること”の違い。
宗教の属するということは、
自分が属する宗教が信じるものを信じ続け生きること。
コーチングを受けるということは、
見失いつつある自分に対して、コーチからの助けを得ながら、
自分自身で探し続けるということ。
そこに違いがある。
つまり、
宗教は、
信じるものが他にある。
そして、コーチングは、
信じるものが最終的には、”自分自信”である。
また、
宗教が、
信じるものがある程度限定するのに対し、
(すべての宗教がそうではないかもしれませんが・・・)
コーチングは、
すべてを信じる。
起きていることすべてを受け入れる。
この辺の違いもあるらしい。
ここからは、個人的な意見。
僕は、別に宗教も、コーチングも受けたことはない。
(ちょっと勉強はした。)
ただし、別にどちらも悪いとも思っていない。
むしろ良い結果になることもあると思うし、いいことだと思う。
自分自身が必要だと思ったらやればいい。それだけの話だ。
ただ、僕は、自分自身が、日々、生きている中で、
自分なりのフィロソフィーができているのを、ひしひしと感じる。
これに固執しすぎると良い結果を生まないかもしれないけど、
これは、失敗、成功を繰り返すことで進化している。
松下幸之助さんだったり、稲盛和夫さんだったり、ドラッカーだったり
偉大なる先人のフィロソフィーを学ぶことでも進化する。
べつに僕はコレにしたがって生きればいい。
だから、何もやる必要はない。
そう思う。
じゃあもし、何かに迷ったらどうするか?
自分が今まで生きてきたなかでできた、
フィロソフィーを駆使して乗り越えるだけだ。
それだけしかない。
つまり、自分を信じること。
それだけしかないのかもしれない。
なんだか、書いてるうちに言いたいことが
よくわからなくなったし、論点がタイトルから大分ずれてるけど、
書き直すの大変だからもういいや。
あくまでもメモだし・・・。
まぁ、何が言いたいかっって。
自分なりのフィロソフィーを持つことは大切ですよ!
っていいたかったのかな。
ふと、そう思ったから。
そして、”フィロソフィー”という言葉が最近お気に入りだから、
ただ使いたかっただけでもある・・・。