kubolog : クボログ

久保のブログ

叱ることについて考えてみた。

この前、
マックで勉強してたら、となりの席で、
どこかの会社の上司っぽい人が、
部下っぽい人に対して、お説教をしていた。
あーだ、こーだ、どーだ。うんたらかんたら。

それを見て、ふと思った。

そういえば、印象に残る人って、
叱ってくれる人だった
なぁって。

それは、先生でも、先輩でも、上司でも、恋人でも、友達でも。

叱らない人って、その時はいい人だと思う、
でも後々でみると印象が薄い。
良い人止まりみたいな感じ。

逆に、叱ってくれる人って、
その時は、ものすごい腹が立っても、
後々、振り返ると、

あぁ、こういうことか。
こういうことだったから叱られたのか。

みたいな感じで思い出すことが多いし、
印象に残っている。

じゃあ、自分はどうなのか?
それを改めて考えてみると、、、
自分は人を叱っていない。
ここ最近の私生活の中でも。 

仕事で、前に、 
クリティカルなミスをが発覚したときでさえ、
自分は叱らなかった。そのミスをした人を。
自分がボトルネックを解決し、
いいよいいよー大丈夫。 って感じで、
すんなりと流してしまった・・・。

自分は、
人を叱れない。
年下でさえ、叱れない。
もちろん、年上なんて叱れない。

うーーーーん。

こういうところが、
まだまだ自分が、未熟なところなんだろう。。。

人を、感情的にではなく論理的に、
しっかりと叱ることができるようになること。

それが、
一つの成長の証明となるのかもしれない。
人間として少し大きくなったことの証明であるのかもしれない。

そういうことをういうと、人は、
性格的な問題もあるし仕方ないじゃん。
なんていうかもしれない。

でも、それを性格のせいにしてたら、
そんなもん一生見えてこない。
そんな気がする。

だいたい、
内気な性格だからできないとか、
人見知りだからできないとか、
そんなの物事から逃げるための言い訳に過ぎない。
言い訳をつくり、決断を自分で下さない人間には何もできない。

個人的には、褒めるってことの何倍も、
叱る方が難しいし、
エネルギーを必要とする
と思う。

そう考えると、
叱るってことは、いわば、
愛するってことなんじゃないかって思う。

興味がないと叱れないし、
愛がなければ叱れない。

親が子を叱るのも愛があるからこそ。

つまり、人を叱れない自分は、
愛情がたりないってことか・・・。

うーーーーーーん・・・。