マイナス(ネガティブ要素)があるから生まれるプラス(ポジティブ要素)がある
前々から思ってたんだけど、
ネガティブな事があるから、
生まれるポジティブってのがあると思う。
(まぁ、そもそもモノゴトをポジティブにとるか
ネガティブにとるか自体が、個々の意思なんだけど・・・。)
例えば、
僕の家のお風呂はユニットバス。
狭いし、お風呂にお湯をためてつかるなんてこともする気は起きない。
だから、
ときどき銭湯に行くようになった。
銭湯の昔ながらの空間を感じつつ、
広いお風呂で足を伸ばす。
この瞬間がたまらない。
たぶん、うちのお風呂がユニットバスだったからこそ、
銭湯に行く機会ができたんだと思う。
つまり
ユニットバス{ネガティブな要素)
↓ ↓
銭湯を楽しみをみつけることができた。(ポジティブな要素)
が生まれたってコト。
村上 春樹の、
「走ることについて語るときに僕の語ること」
で、書かれていたことだけど
(これ読んで、村上春樹の発想やっぱりすげーなと思った。)
食べても太らない体質の人は、
運動をしなくても、太らない。
一見うらやましいように思えるけど、、、
そのせいで運動をする必要性を感じなくなり、
やせてはいるけど、体は、不健康になっている。
でも、太りやすい体質の人は、
太るという不健康シグナルがでるから、
ダイエットのためとはいえ、運動をするという必要性を自然と作ることができる。
つまり、
太る体質(ネガティブな要素)
↓ ↓
太ることにより、不健康シグナルに気づくことができるので、
運動をするようになる(ポジティブな要素)
が生まれた。
まぁ、
要するに何が言いたいかっていうと、
モノゴトなんてのは考え方次第で、
いろんな可能性を見つける事ができる。
ってこと。
一つのネガティブな出来事も、
きっとなにか一筋の光をもって、
新たな道へつながる事ができるはず。
そう信じることが大事なんだと思う。
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人生は基本的に不公平なものである。それは間違いのないところだ。
しかしたとえ不公平な場所にあっても、そこにある種の「公正さ」を希求することは可能であると思う。
それには時間と手間がかかるかもしれない。あるいは、時間と手間をかけただけ無駄だったね、ということになるかもしれない。
そのような「公正さ」に、あえて希求するだけの価値があるかどうかを決めるのは、もちろん個人の裁量である。
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村上 春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」は
個人的に、おすすめの本です。