母親を失った親子の感動物語 『ステップ:重松清』を読んだ。
悲しみや寂しさは、消し去ったり乗り越えたりするものではなく、付き合っていくものなのだと――誰かが、というのではなく、僕たちが生きてきた日々が教えてくれた。
悲しみを胸に抱いたまま生きていくことは、決して哀しいことではない。そのひとがいないという寂しさを感じる瞬間は、そのひとのいない寂しさすら忘れてしまった瞬間よりも、ほんとうは幸せなのかもしれない。
この本は、泣いた。
最後はボロボロきてしまった・・・。
(家で読んでて良かった。)
母親を若くして失った親子の物語が、
父親の視点で描かれている。
母親がいないことで生まれる周りとの葛藤。
仕事、育児、学校。
それぞれが短編で描かれており、親子は短編ごとに成長していく。
同じ男という立場だからこそ、感情がすんなりと入ってきて、
共感するものがあった。
最後だけでなく、途中の話もぐっとこみ上げることが多かった。
自分がふだんあたりまえだと思っていることも、
それが当たり前でない人はたくさんいる。
お母さんとお父さんと子供、それが家族。
でもそれは当たり前ではないし、いつそれが崩れるかなんてわからない。
でも、そんな不幸なことだけを考えて、
虚無感にさいなまれていても仕方がない。
アリとキリギリスの話あるだろ。イソップだっけ。あれは半分間違ってるよ。先々のことを考えるのは大事でも、あえてキリギリスになるしかないときって、人生にはあるんだ
こういうことなのかもしれない。
大事なことは、今。
数え切れないほどの今日を昨日に変えていって、いま、僕達はここにいる。
今日をつみあげて、未来を作ること。
今日できることをしよう。
もがいて悩んだって、今日できることしかできない。
そうやって未来をつくっていくしかない。
読んでいてそんなことを思った。
わが家とは笑顔を作るだけの場所ではない。涙を流す場所だ。大の大人が心置きなくなける場所など、わが家以外にどこにある?
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気づいたときには、もう取り戻せない。
いや、もう取り戻せなくなったからこそ、それがとても大切なものだったと気づく。
幸せとは、そういうものなのかもしれない。